制度にとらわれずに活動している場が少ないためなのでしょう。障害福祉の、とりわけ生活支援を行っている施設や事業所の人達が、「ばおばぶ」にはよく見学に来ます。また、講演を頼まれることも多くあります。そんな時によく聞くのが「理想を目指したいのだけれど・・・」という、少しばかり愚痴めいた意見です。
その度に僕が不思議に思うのは、それならなぜ理想を求める工夫をしないのだろうか、という疑問です。理想があるのなら、その理想を実現するにふさわしい形で行動すればいい。当たり前のことですが、それがもっともスムーズなはずです。たとえば現状が障害者自立支援法に則った事業所であり、そのために生じる制約が理想の実現を拒んでいるのなら、簡単な話です。理想を拒む要因を排除する、すなわち障害者自立支援法の事業所であることを辞めて、理想を実現できる形になればいいだけのことなのです。
しかし、多くの人達が、自身の現状での活動が理想からは遠いものだと自覚しながら、現状の変革はせずに理想だけを口にする。理想を求めながらも制度の壁でそれを実現できない自分自身を、一種の悲劇のヒーローのように感じているのではないかと思われるような人にも出くわします。結局、自身が夢見たことの責任を追えないくせに、理想だけを口にして「自分はこんなにいい人なんだ」と悦に入っているような・・・。
さて僕らは、先の「電照菊は悲しい(24時間、年中無休であることについて 1)」に書いたとおり、24時間、年中無休ではじまり、今でもそれを続けています。そしてそれは、僕らなりの理想『制度という消費者(行政、納税者)側の合理性ではなく、利用者側の合理性を可能な限り大切にする障害福祉もあっていいのではないか。いや、むしろそれらはあるべきで、その両者が共存している中でのみ、本当の利用者による選択が行われる。その時が、本当の意味で障害者側が利用者であると同時に、福祉サービスの消費者になる時なのだろうと考えます』の実現をするために不可欠な形なのです。
理想を実現するためには、それにできるだけ適した形にするということ。それが、さまざまなロスを無くして合理的なことなのですから。
わざわざ理想に届かないシステムの中にいて理想が実現されないことを嘆きながら暮らしていくというのは、きっととてもしんどくて、つまらないことのように思えます。
平成元年に仕事としてスタートさせた時、いくつか心配の声をいただきました。そんな中に「親が預けっぱなしにしてしまうんじゃないか」という意見がありました。僕らは24時間、年中無休、以外にも利用の理由を問わないなど、とにかく利用しやすいように心がけてきました。そうしたことからの心配だったのだろうと思います。
しかし、現実には預けっぱなしにするような親御さんはほとんど無く、多くの人が必要な時に必要なだけご利用くださるだけでした。
利用時間や日時が限定されているからそこに合わせて利用が集中するだけのことで、「はおばぶ」のようにいつでも利用できるようになれば、必要な時の必要な利用だけにとどまるのです。
そんな中から生まれてきたのが「予防の福祉」という考え方でした。
たとえば、親御さんが病気になった時、すぐにお子さんを預けられる場所がなければ、病院に行くこともできず病気は悪くなってしまうことでしょう。利用時間や日時が制限されている場合には、そういうことになってしまいます。少しばかり愚かなことに、昔々の制度設計者はその方が税金の支出を抑えられると考えていたのだと思われます。しかしそれは大きな勘違いでした。制限がある場合には、利用を待たされるその間に病気が悪化するぶん、治療の時間が長くなり、最終的にはお子さんを預ける時間か増えてしまうのです。そしてその費用が措置費であるのなら、利用を抑制した分、税金の支出が増えることになります。
極端な例を言うなら、親御さんが病気の自覚を持った時、すぐに病院に行くことができれば、子どもを預ける日数が一日ですむ。しかしそれが日曜日だったりしたために、預け先が無く、親御さんが一日我慢しなければならなかったなら・・・。翌日に子供を預けて病院に行くと「なぜ、すぐに来なかったんですか!」と言われて一週間の入院になってしまう。その場合、利用を抑制したつけが、一週間の子どもの預かりの措置費になるわけです。当時の制度設計者の無能さが、税金泥棒と同様の効果を持ってしまっていたのです。
さらに、もし親御さんが病気を自覚する前に、「ちょっと疲れ気味かしら」という段階で事業所を利用できたなら。その親御さんは、何よりも病気そのものにならずに済んだかもしれません。
同様のことは、気持ちが不安定になるとパニック状態になる人などにもいえることです。家のガラスを割ったり、乱暴が酷くなってから、やっと「それじゃあ、預かってあげましょう」と対応する福祉より、そうなる前に、ちょっとでも不安定な感じが見受けられた時に、24時間、年中無休で対応してくれる事業所があった方が、ずっと有効なのです。「今は何も困ってはいないのですが、最近、ちょっとストレスが溜まっている感じなので、預かってもらえませんか」の電話に対応する「予防の福祉」が、パニックを起こしてから対応する「対処型福祉」と並行してあることが大切なのです。
24時間、年中無休であることは、利用の理由に制限を求めないことなどと共に、「予防の福祉」には不可欠なことだったのです。
ただし、勘違いしてはいけません。「予防の福祉」は、制度提供側を含む福祉提供側の先回りによるものであってはならないのです。
昨今の相談事業流行りで、先回りしての支援の用意が増えてきました。しかしそれらは、親御さんが病気になりそうだったらこれを使って、本人が不安定になりそうだったらこれを使って、という具合に結局のところ、決められたシステムに落とし込まれることに過ぎません。それらはおおむね障害者自立支援法の理念にしたがった対応になるので、それに合わなければ予防にはなりません。親御さんが病気にならないように予防のつもりで相談をしたとします。それについて障害者自立支援法が居宅や短期入所で対応できるとしましょう。しかも24時間、年中無休・・・。ところが、その月の受給量をすべて使い切ってしまっていたなら、あるいはそれ以前にそうしたサービスを受給していなかったとしたなら。
先回りの用意は、それだけでは機能しない場合が多いのです。利用のさいの制約が多ければ、支援費時代の「対処型福祉」だけの時代と大差は無いのです。電照菊の悲しさ同様の管理の状態は、まるで変わらずに今も蔓延っているのです。
「先回り」と「予防の福祉」は、まったく別のものなのです。
「予防の福祉」は管理からできるだけ離れることによって成立するのでしょう。
24時間、年中無休。利用の理由を問わないこと。受給量に制限を設けないこと。等々・・・。そうした自由な福祉が増えてきて、それらを利用する側が「対処型」であれ「予防」であれ、自由に使えるようにならなければいけない。それらと並行して障害者自立支援法等の制度型福祉を、もうひとつの福祉として使っていくようなスタイルが、僕には理想のように思います。
それを目指して、「ばおばぶ」が取るべきもっとも合理的な形は、やはり24時間、年中無休の自由な福祉なのです。
2012年11月20日
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