2014年07月08日

トーク&弾き語りライブ 2014年7月13日(日) 柏

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めったにイベント事を行わない「ばおばぶ」ですが、ずいぶん久しぶりにやります。

トーク&弾き語りライブ
「僕らの言葉で語り合おう 大切な人たちのことだから」
(ゲスト)李国本修慈さん×五十嵐正人

日時 2014年7月13日(日)18時30分〜20時20分
場所 さわやかちば県民プラザ 多目的室(千葉県柏市柏の葉4丁目3番1号)
参加費 無料
申し込み・問い合わせ 下のチラシをご参照ください。


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クリックすると、別窓で拡大画像を見ることができます。

参加申し込みは、下記のFAX申込用紙でもできます。クリックで拡大、プリントアウトしてご利用ください。

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この企画について、通信「もうひとつの福祉」(139号)に書いた記事があるので、下記に転載します。

心はあるかい 愛はあるのかい

 7月13日の「トーク&弾き語りライブ 僕らの言葉で語り合おう 大切な人たちのことだから」は、トークと弾き語りを組み合わせるという、あまり馴染みのない内容になっています。このことについて、少し書いておきます。

 障害福祉関係のイベントで、いろいろな人の話を聞くことができる昨今です。むかしは先駆者の方の単独の講演などが多かったように思いますが、福祉制度が次々と変わるようになった支援費制度以降はシンポジウム形式のものが多くなったような気がします。
 いずれにしても、毎日のように届くこうした企画の案内は、講演とシンポジウムを組み合わせたようなもの(以下[講演&シンポ]と表記します)がほとんどになっています。
 このことについて、僕はずっと違和感を感じていました。僕らが知りたかったり、聴きたかったりすること、そして聴いてほしかったりすることというのは様々であるはずです。しかしその表現方法は、だいだいが[講演&シンポ]になっている。本来、伝えたいことが多岐に渡るのなら、そのイベントの内容もそれらに合わせて様々になるはずなのに……。
 時々ですが、イベントの計画を手伝うことがあります。つまり企画を作る作業をするわけですが、そのさいにも、最初から[講演&シンポ]ありきになっている場合が多くあります。なんとなく企画する人たちの頭の中で、障害福祉のイベントとは[講演&シンポ]と思い込まれているような、あるいはそういう型にはめることで、企画する人たちがなんとなく安心な気持ちになっているような。
 たとえばテーマが、学術発表だったり、新しい制度や仕組みについて考えたりするものであるのなら、それでもいいように思います。「虐待防止法について考える」とか「総合支援法の検討」みたいなテーマであるなら、[講演&シンポ]はピッタリだと思います。しかし、伝えたいテーマがそれに合わない場合であっても、たとえば「障害を持つ人の普通の暮らしについて」とか「地域で生きるということ」みたいな時にも、最初に基調講演を入れてシンポジウムは3〜4人の登壇者で、と企画していく場合がけっこうあるのです。
 危険なことは2つあります。
 一つはその[講演&シンポ]という手法に合わせて、本来伝えたかったはずの内容がこねくりまわされる危険です。たとえば「地域に生きるということ」をテーマにしたとしても、その伝え方はトークライブ、あるいは「朝まで生テレビ」のようなやり方、さらには演劇、などなど、選択肢は無数にあるはずです。その中からどのやり方を選ぶかで、伝わる内容や、その切り口、伝わり方などが変わってきます。本来、伝えたいテーマに応じて、その手法を考えるべきなのですが、現実には手法ありきで、[講演&シンポ]の中にテーマを無理やり組み込もうとする場合が多くある。それによって、本当に伝えたいことが伝わらなくなったり、酷い場合には歪められて伝えられたりという心配が出てくるのです。
 とにかく数が多い[講演&シンポ]という手法はわかりやすく、きちっと伝わるという利点を持っています。一方トークライブや「朝まで生テレビ」的なものは、進むにつれて訳がわからなくなるなど、伝わりにくいという欠点を持っているといえるでしょう。イベントを企画する側は、どうしてもわかりやすく、と考えがちなので前者を選択することが多くなるのでしょう。でも、本当にわかりやすいことだけが大切なのでしょうか。
 先に書いたように、学術発表や、制度や仕組みを周知するようなテーマなら、わかりやすさは第一かもしれません。しかし「障害を持つ人の普通の暮らしについて」とか「地域で生きるということ」みたいな、『生きる』ということに深く関わるテーマの場合、わかりやすさには、いったいどの程度の意味があるのでしょうか。
 僕らは毎日、そんなにわかりやすく生きているのでしょうか。なぜそうしたのか意味不明な行動をとったり、あまり考えも無く暮らしているのではないでしょうか。本来そういうものであるはずの『生きる』ということについて、わかりやすく論じようとすると、行動の一つ一つに理由付けがされて、まるで無味乾燥な人生になっていきます。それがつまり、現在障害を持つ人たちが生かされている、何時から何時までは就労支援で、何時から何時は体力づくりで、何時から何時はレクリエーションで、何時から何時は自由時間で……、という暮らしのように思うのです。それは一つ一つにわかりやすい意味が与えられていて、『生き方』というよりも『生かされ方』のように感じるのです。
 第一の危険は、つまりここにあります。
 手法として[講演&シンポ]が先にあって、そこに『生き方』みたいなテーマをおとしこもうとする場合には、わかりやすい部分がセレクトされ、過度にわかりやすく意味づけされてしまう。つまり、わかりやすくて成文化しやすい制度的なことが全面に押し出され、そこに障害を持つ人たちが無理やりはめ込まれていくのです。しかも、そこで語られる「障害者」は、その制度的なものにフィットする人に限定されて、合わない状況の人はどんどん弾かれていく。結果として、「障害者の生き方」みたいな[講演&シンポ]の会場では、制度だけでは『生き方』が保障されない人たちのことは語られなくなっていく。そんな会場で、孤独な思いをした人は大勢いるのではないでしょうか。
 つまりは、何を考えているのかわからなかったり、何をしたいのかがわからなかったり、たとえば我が家で暮らす森山裕子さんのように「アーギャ」や「グーヤ」で意思表示するような人たちのことは、あらかじめ対象からはずされてしまう。そうした言葉にできないことや、とてもわかりづらいことを大切にして企画をするには、おそらくそれにより合った手法をとるべきなのだと考えます。けっして[講演&シンポ]がダメなのではなく、それありきの思い込みで企画されることが、『生き方』をテーマにするような場合には危険なのだということです。
 蛇足ですが、当たり前のようにフロアからの質問を募ったり、というのにも違和感があります。多くの場合それには、じゅうぶんに必要性が論じられておこなわれるのではなく、そうすることで企画側が安心できる、一種アリバイ工作のような性質が感じられます。企画側が何かの責任を逃れるためにフロアから意見を募っておく、みたいな……。
 それから、「来てくれた人たちに、何か持って帰ってもらえるように……」という企画者の親切な感じ。これも、伝えるべきことの制限に繋がっていると思います。大切なことの中には企画側が「持って帰ってもらえるように」と配慮することで伝わりやすくなるテーマだけではなく、聴きにきた人たちが努力することによってはじめて伝わることも、きっとあるはずなのです。昨今の、聞きに来る人をお客様のように扱う「来てくれた人たちに、何か持って帰ってもらえるように……」という思い込みは、大切なことの半分を、常に棄てていることのように思えます。プロのミュージシャンのコンサートではないのですから。あまりにも聴きにきた人たちを蔑ろにするような企画はダメだとしても、お客さん扱いも度を過ぎると、「何か持って帰ってもらえる」程度のことしか伝えられないものになるのだろうということです。
 そして二つ目の危険は、講演とシンポジウムを組み合わせたものへの思い込みが過ぎると、最初からそれに合ったテーマを選んで企画するという本末転倒な事態が起こるということです。
 この二つの危険によって、障害福祉の制度に対する過度の依存は加速していきます。
 制度ができてくることで、障害を持つ人たちの暮らしがどんどん制約されて、不自由になっていくのと同じ構図が、ここにはあるわけです。
 [講演&シンポ]という企画側の思い込みと安心感が、本来自由なはずのテーマを制限していく。そして、そこではわかりやすさが重要視され、わかりにくい思いや、わかりにくい人、わかりにくい生き方などが排除されていく。
 本来は障害を持つ人たちのために、という思いで企画される『生き方』を考える催しが、企画側の思い込みでパターンにはめ込まれ、結局は『生き方』を縛る手先になってしまっている。極端にいうと、そんな危険を、僕は感じています。
 考えてもみてください。ここ数年、日本中で本当にたくさんの[講演&シンポ]が企画されているのに、一部の人たちを除けば、『生き方』はちっとも豊かになっていないのです。
 場合によっては、その[講演&シンポ]が、本人や家族に対して『生き方』から『生かされ方』に意識を変えさせる、教育の場になっていたりもする……。
 だから、もっと自由に考えるべきだと。
 伝えたいことに合わせて、自由に手段を考えること。
 とりわけ『生き方』めいたことをテーマにするのなら、[講演&シンポ]に縛られず、来てくれた人たちに何かを持って帰ってもらおうなどとおもねることもなく、聴きにきた人たちからも質問意見を受け付けることで皆で作った感のアリバイ作りをするのでもなく。本当に伝えたいテーマにあっているかを、自由に本気で考えて企画すること……。
 というわけで、7月13日の企画には「トーク&弾き語りライブ」という形を選択しました。

 それではなぜ、弾き語りなのか、というと……。
 日々僕は、制度だけではなく「もうひとつ」が必要なのだと主張しています。するとときどきですが、「制度を完璧にするのではダメなのか?」という指摘を受けます。その人自身が、その「完璧な制度」で暮らすことを想像してくれれば、そのつまらなさはすぐにわかると思うのですが。そういう人は、おおむね自分はこっち側で、障害者はあっち側で、違った場に暮らしているつもりでいたりします。「あっち側の人たちを完璧な制度で暮らさせてあげるのが……」、みたいな感覚でいるのでしょう。
 僕らは、家庭を持ったり、結婚したり、恋人を作ったり、様々な日常の営みをしています。それらは、一種の社会制度といえるものでもありますが、障害福祉の制度的なものとは異なっています。少なからずそこには『心』というものがあるのです。
 「完璧な制度」のくだらなさは、そこに『心』が介在しない(あるいは制度的にしか介在しない)ということだと思います。「完璧な制度」が「はい、今日からみんな家族ですからね」と「究極のグループホーム」を制度化したとしても、それは僕らが築く一般的な家庭とは、まったく異質な場なのです。
 とっても簡単な言い方をすると(しかしそれは誤解を招きやすいのですが……。その誤解を恐れずに……)、僕は障害を持つ人たちを巡る状況に『心』を取り戻したいのです。つまりは、彼らと、彼らのことを考える僕らの中に、『心』を取り戻したいのです。
 「制度で考える」不足部分を『心』で補うのではなく、それ以前、最初から僕らすべての人たちの中に『心』を取り戻すということ!
 以前、通信の137号で『母語を取り戻そう』と書きました。その、僕らが日常的に母語としての言語にあるのが『心』なのです。そして、障害を持つ人たちの事を話す時に使われる特殊言語(支援計画や、区分判定や、諸々)の中には無いのが『心』なのです。
 ところが実際に講演などで、裕子さんの暮らしなどの話をしていても、そこで僕がどれだけ特殊言語を排除していたとしても、聴く人たちには届かない場合があります。旅行が移動支援に聞こえ、一緒に飯を食うことが食事介助に聞こえてしまっている現実があるのです。とりわけ、生まれた時から生活支援の制度がある子ども世代の若い親御さんや、生活支援が無かったころを知らない世代の福祉関係者には、その傾向が強いように思われます。
 そこで、7月13日には、大切な人たちのことを特殊言語ではなく、僕らの当たり前の言葉で語り合うために、「弾き語り」という手法を組み合わせることにしました。
 「弾き語り」の音楽は、主に簡単なフォークソングを予定しています。その歌詞には支援計画も区分判定もでてきません。家は家で、家庭は家庭で、おれの悩みを聴いてくれはおれの悩みをきいてくれ、なのです。そうした特殊言語におかされていない「弾き語り」という方法で組み合わせることで、聴く人が特殊言語に引っ張られることを避けたいのです。
 たとえば小田和正さんの「たしかなこと」という歌の中には「忘れないでどんな時も きっと側にいるから」という歌詞がでてきます。この「側にいるから」は家族であれ、恋人であれ、とにかく人として、『心』をもって側にいることをあらわしています。けっして「時間になると帰っていく支援者として、側にいるよ」と歌っているわけではないはずです。
 またCMソングになった「ケンとメリー(愛と風のように)」(バズ)という曲には「心はあるかい 愛はあるのかい」という問いかけがあります。今、本気でこうした問いかけを、支援者や相談員みたいな人たちに投げかけなければならない時にきているように思うのです。

 そんなこんなで、「トーク&弾き語りライブ」という馴染みのない企画を7月13日に行います。どうぞ、興味のある方はチラシを参考に、いらしてください。
 あっ、そうだ、大切な事を一つ。主に五十嵐がギターを弾いて数曲歌うのですが、その完成度にはあまり期待をしないでください。五十嵐がそういうことをしていたのは、およそ30年前のことです。現在、ギターのリハビリ特訓中ですが……。
 それよりも、あの国本さんの話を聴いてみたい人は、この機会に是非!


posted by 五十嵐正人 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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